●手相占いをしてくれるお好み焼き屋さん●

“もう何年も前ですが、地元では有名な手相占いをしてくれるお好み焼き店に行ったことがあります。その店では飲食後、お会計の際に店長のおばちゃんが手相を見てくれます。私は仕事に関しては事務作業など中ばかりでなく受付のような外に向く仕事をたまにやったら良いとか、私の父親の食事管理を注意した方が良いとかかなり具体的な占い結果でアドバイスをしてもらったような記憶があります。一度夫婦で行ったときには似たもの同士だと言われ、二人とも覇気がないからもっと元気を出してと言われました。
占い師というより趣味でやられてるという感じで、お店はわかりにくい路地裏にあり隠れ家のようなたたずまいでとても古く年季が入っています。占いが当たっているかどうか信じるかどうかは重要視してなくてただ何となく好奇心で行ったと今は思います。また子供を連れてふと立ち寄りたくなりました。”

●伝説の手相占い師にみてもらったことがあります。●

“二〇代の頃、あるデパートに怖いほど当たると言われていた手相占い師がいました
友人の話では、友人の友人が友達とふたりで行ったそうです。友人がつき合っていた男性と結婚できるかどうかを占ってもらったら「彼には他につきあっている人がいるみたいだね。あなたとの結婚はしないだろう」と言われたそうです。そしてその通りにその後、他の女の人とつきあっていることが解りました。
一緒に行った友達には「あなたのことは占えない」とみてくれなかったそうです。不思議に思っていたらその一週間後、その友達は交通事故で亡くなったんだそうで、亡くなることが解っていたから占えなかったんだねとみんなで言っていたそうです。
そんな伝説のように残っている占い師の元へ私も行ってみました。彼氏もいない時だったのに「半年後には結婚するよ」と言われました。半年後とはいきませんでしたが一年後ぐらいにお見合いで意気投合した人と結婚しました。”

●ショッピングモールの手相占いが凄かったです●

“あまり占いはしたことがないのですが、先日ショッピングモールに行ったときに手相占いコーナーがあり、500円と安かったので占ってもらったのです。
女性の占い師さんで親戚のおばさんにいそうな雰囲気の普通の方でしたが、手を見せた途端に的確なことをいろいろと言うのでびっくりしました。
「あなたは器用な人、仕事面でも男関係でも器用。まぁいえば、上手に二股もかけれる人よ。でも好きになるととても一途ですね。非常に情熱的に相手を愛する人です」
かなり的を得ていたので、苦笑してしまいました。
さらにわたしの手相の特徴として、頭脳線と生命線の先端部分が大きく開いていると。こういう手相の人は、行動的で大胆な振る舞いをするとのこと。それも完全に言われる通りで、この占い師さんは凄かったです。
今は大きく運命が変わろうとしている時期らしく、一日一日を有意義に過ごすように言われました。”

●たまたま道にいた占い師に手相を見て貰ったら●

“先輩と食事に行った時の事。
食事が済み、タクシーを捕まえようと歩いていると道の端に「占います」と書いた紙を掲げるおじさんがいました。先輩が「占って貰おうよ」と言ったので、おじさんに「いくらなの?」と聞くと「2千円だよ」と。ものは試しと思い、早速先輩と私がそれぞれ占って貰いました。私は前に手相を見て貰った経験があるのですが、大体同じ事を言われた事に驚きました。内容を簡単に言うと「お金持ちにはなれないけどお金には困らない」「付き合う人に大切にされる」「口紅を塗ると仕事がうまく行く」とかですね。その時は結婚していなかったので自分の婚期について聞いてみると「今付き合っている人いるでしょ?3ヶ月以内に話がまとまるよ」と言われ「3ヶ月で結婚なんてありえない」と思い全く信用できませんでした。そして占い師に占って貰った事も忘れかけていた頃、彼氏から結婚の話をされたんですね。スムーズに結婚話が進み、ふと思い返すとちょうど占って貰ってから3ヶ月が経つ頃でした。占いもバカにできません。”

●手相はすぐ変化する?●

“横浜中華街の露店女性手相占い師から、私の手相を見てもらいました。「あなたは、結婚の線が全く無いから、結婚はできないわね。」との見解のようでした。私はその時に、当たるはずないとの思いと、自分の夢でもある幸せな結婚をするという無残にも夢を引き裂かれたようなショックな気持ちとの葛藤があったのをはっきりと覚えています。
ですが、私はこの占いをやってもらった二ヶ月後には一緒に横浜中華街へ観光に行った方と結婚をしました。子供も授かり、今でも幸せに結婚生活を送っています。結婚生活丸十三年になりました。よく手相はぐるぐる変わるから運命も変わるという話を聞きます。でも、結局は占いを信じる信じないのも自分次第、、人生を切り開くのも自分次第、自分次第で何事も変えることはできるのではないかと、考えさせられた一件でした。”